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すずめの戸締り

テーマ:トリビア



昨夜、宮崎で震度5弱の地震が起こりました。

映画『すずめの戸締り』で描かれた地震場所は『宮崎県→愛媛県→兵庫県→東京都→宮崎県』でした。

そこで、2022年11月11日に劇場公開された【すずめの戸締り】の秘密を考察したいと思います。

【すずめの戸締り】には隠された神の存在が見え隠れします。

新海誠さんが監督したアニメーション映画『君の名は』『天気の子』に続く第三作目ですね。

前作と同様に日本神話のエッセンスをふんだんに取り入れた『すずめの戸締り』は、新海誠さんが本当に伝えたかったメッセージではないかと思います。

主人公の一人の宗像草太(むなかたそうた)は、宗像三女神(市杵嶋姫は瀬織津姫)がモチーフとなっていて、交通安全の神様です。

『すずめの戸締り』は日本各地を渡り歩くロードムービーだと新海誠監督は語っています。

そんなロードムービーには交通安全の神様である宗像三女神はぴったりなのです。

草太は猫のダイジンによって3つ脚の椅子に姿を変えられてしまいますが、この3つ脚の椅子は神武天皇を導いた八咫烏(やたがらす)がモチーフとなっており,草太が鈴芽を導く役割にはぴったりと言えます。

八咫烏と同じ太陽神と導きの神という神格を持った神様がサルタヒコで、八咫烏=サルタヒコとなります。

日本神話には日本に古来から住んでいた太陽神ニギハヤヒがいます。

サルタヒコと同じ太陽の神格を持っているため八咫烏=ニギハヤヒ=サルタヒコ。

つまり草太にはニギハヤヒと瀬織津姫という夫婦神が隠されているのです。

すずめの戸締りのヒロインである岩戸鈴芽は、アメノウズメから名前が来ていると新海誠監督は語っています。

そして岩戸は天岩戸を連想させ、天岩戸伝説には岩戸に閉じ込められたアマテラスを別の神とすり替え、その時に閉じ込められた神様こそニギハヤヒだという話があるのです。

ニギハヤヒはサルタヒコと同一神で、さらにサルタヒコの妻はアメノウズメです。

そしてニギハヤヒの妻は瀬織津姫。

つまりアメノウズメとは瀬織津姫のことだと解釈できます。

天岩戸伝説は陰謀渦巻く悲劇の夫婦の物語だとも解釈できるのです。

草太と鈴芽にはニギハヤヒと瀬織津姫という夫婦神が隠されているのです。

ニギハヤヒ=太陽神=『火』

瀬織津姫=水神=『水』

二人合わせると『火水』

つまり日不見の神である国常立のことです。

さらに『火』の漢字は5つの点が結ばれて五芒星。

水の漢字は6つの点が結ばれて六芒星。

5+6=11でニホンを表し日本と国土である国常立(くにとこたち)のことです。

『すずめの戸締り』の公開日は11月11日で11という数字が登場し国常立を意味しています。

陰の瀬織津姫と陽のニギハヤヒが陰陽統合し完全体となった神様こそが国常立で、草太と鈴芽も国常立だったからこそ国常立であるミミズを鎮めることができたのです。

【陰陽統合し本当の自分を知る】

【そして自分自身を鎮める】

すずめの戸締りにはミミズという大地震を引き起こす神様がいます。

その神様の正体は東京の後ろ戸の位置から分かります。

東京の後ろ戸があった場所は皇居の地下で,その場所は鬼門です。

鈴芽が旅を始めたのは宮崎県であり最終的に東北に辿りつきますが、このルートは裏鬼門から鬼門で、鬼門に封じられているのが国常立です。

国常立は【日月神示】によると日本列島そのものだと語られています。

作中のミミズは『日本列島の地下にある構造線のようなもの、そこに溜まるエネルギー』だと説明されており、『国常立』そのものです。

国常立は龍神であり国土(土壌)なので地龍です。

動物性生薬の地龍はミミズを乾燥させたものなのです。

日本に災いをもたらすミミズの正体は国常立です。

作中ではミミズを封印するために草太が祝詞を唱えるのですが、この祝詞の中に登場するのが『日不見の神』で森羅万象の神様のことです。

さらに日不見は『ひふみ』とも読め、ひふみ祝詞は鎮魂法で使われる祝詞です。 

ひふみ祝詞が登場するものに【日月神示】(別名ひふみ神示)がありますね。

この日月神示の中の神様が国常立になります。

以上のことから日不見の神=国常立のことだと考えられるのです。

ミミズを鎮める日不見の神も国常立で、ミミズを封印していた草太や鈴芽も国常立だったのです。

戸締りとは神様にその土地をお返しすることで、作中の祝詞『謹んでお返し申す』からも分かります。

あの日『行ってきます』と言ったまま空けられた扉を閉じる物語で、言えなかった『おかえり』を言うための物語がすずめの戸締りだったのです。

鈴芽も絶望している時に未来の自分から光をもらいました。

そうして未来は大丈夫だったと気づくのです。

自分を救うのはいつでも自分です。

新海誠監督は、苦しみや困難の先には希望がちゃんとあるし、過去の自分に『だから大丈夫だよ』と伝える未来の自分がきっといることを伝えたくてこの作品を作ったそうです。